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東洋医学では、私たちの体には「気」があるといいます。
とはいっても、「本当にあるの?」「あるとしたらどこにあるの?」という感じで、いまいちピンとこないのではないでしょうか。
東洋医学の詳しい本を読んでみると、気について様々なことが書いてあります。
ですがこれらを読んでも、実際にどんなものなのかイメージが湧きません。
私たちの体については、西洋医学の方が分かりやすいと思います。骨や筋肉や内臓など、これらは実際に見ることもできるし、触れることもできるものです。
こちらの方が素直に受け入れることができます。
では、東洋医学でいう「気」とはどこにあるのでしょうか。
物質の体、気の体
結論から書いてしまうと私たちの体は、「物質の体」と「気の体」が重なっています。そして気は、「気の体」の方にあるのです。
普段私たちが見たり触れたりしているのは「物質の体」です。西洋医学はこれを見ています。
そして、これに「気の体」が重なっています。
ふつう体というと「物質の体」だけと思われがちです。でも実際には「気の体」もあって、お互いに影響を及ぼしあっています。
では「物質の体」と「気の体」とはどのようなものでしょうか。
これらについて少しずつ説明していきます。
出典:柿田秀明著「あなたも健康になれる」 2005年 谷口書店
物質の体
物質の体は、私たちが普通に体と感じているところです。
皮膚があって、その中に筋肉や骨があり、もっと奥には、心臓や肺などの内臓がある、という感じです。
おもに西洋医学が見ている部分になります。
私たちは、縦、横、高さのある3次元の世界に住んでいるといわれています。物質の体は、この3次元で考えられる体の部分ということになります。
ちょっとわかりにくいかもしれません。
簡単にいうと、「体のうちの見たり触れたりすることができる部分」というところになります。
そうすると「結局体って、物質の体だけなのでは…」という気がしてきますが、実際はそうではありません。
例えば、私たちの体の周りには、体を覆うように気のバリアーのようなものがあります。東洋医学ではこれを「衛気(えき)」と呼びますが、衛気は見ることも触れることもできません。
(練習すると衛気を感じることができます。また見ることができる人もいるようです。)
衛気の他にも体にはいろいろな種類の気があります。これらは気の体に含まれるものです。
ともあれ物質の体は、ふだん私たちが体と考えているところです。
気の体
気の体は物質の体と重なって、ともに私たちの体を作っています。
「重なっていると言われても、一体どこにあるの…」と思われるかもしれません。
気の体は普通に見たり、触れたりすることができません。先程の3次元とは違うところにあるようです。
ですので体を解剖しても、気や経絡(けいらく)は見つけられないのです。
見つけられないといってもないわけではなくて、気の感覚を鍛えると、これを感じることができるようになります。
感じることができるようになると、体の周りに衛気があることが分かりますし、心臓には心臓の気、肺には肺の気、骨や筋肉にもそれぞれ気があることが分かります。
そして体を動かすために使われる、エネルギーのような気(正気:せいき)や、体を害する気(邪気:じゃき)や、これらの気が流れる経絡という道筋も感じることができるようになります。
気を感じることができる人は、現在では多くはないようです。
でも生活習慣を整えたり、練習を続ける事で、だれでも感じることができるようになると思います。
また東洋医学が作られた時代は、現在のように環境が汚染されていなかったため、感覚が鋭く、気を感じることができる人が多かったのではないかと思います。
ですので、気の体と物質の体の両方について述べている、東洋医学の理論ができ上がったのではないでしょうか。
現在の医学では、体というと物質の体だけを意味します。そしてそれ以外は存在しないことになっています。
でもこれはちょっと乱暴で、「見つけられない=存在しない」というわけではありません。
このことは科学の世界でも言われていて、私たちが科学的な方法で見つけることができるものは、この宇宙全体の数パーセントということが分かりつつあります。
かつては、地球の周りを太陽が回っているとされた時代もあったことですし、現在見つけられないといっても存在しないということにはなりませんよね。
このように体については、簡単に見つけられる「物質の体」と、少し練習すれば見つけられる「気の体」があり、これらは重なり合っています。
物にも気はあります
体には気の体があるとして、では物はどうなのでしょうか。
私が感じるところによると、私たち人間の体だけでなく、物にも気はあるようです。もちろん動物や植物にも。
一般に、生き物で活動性が高いものの方が気が多く、生きていないものは気が少ないように感じられます。
動物や植物ですと、生きているときの方が気が多く、死んでしまうと少しずつ少なくなります。
新鮮な食べ物の方が正気が多いのは、このようなことが起こっているからなのです。
では生き物以外、積み木や消しゴムや鉛筆などはどうかというと、生き物に比べると少ないですが、やはり気はあるように思います。
物によって気の質は少しずつ違っていて、例えば百円玉と十円玉の気などは違います。
物に気があることを簡単に感じることができるのは、食事ではないかと思います。
例えば、お腹が空いてヘトヘトな時に食事をするとどうでしょうか。食事が終わる頃には元気が出てきます。
もし食べ物に栄養素(物質的なもの)しかないとしたら、元気が出るのはその食べ物が消化されて、栄養素を吸収して、血液に乗って全身へ送られた時になるはずです。
おそらく半日か一日後ということになるのではないでしょうか。
でも実際にはそんなことはありません。食事してすぐに活力が出てきます。これは食べ物の正気(気的なもの)がすぐに取り込まれて、経絡を通って必要なところへ送られるからだと思います。
このように物にも気はあるのです。
気は身近なものなのです
ここまで気について書いてきました。
でもやっぱり「気」と言われると、普段余り意識しないし、なんだかよくわからない不気味なものという印象があるかもしれません。
でも怖いものではなくて、とても身近なものなのです。
何しろ私たちの体に寄り添って、きちんと体が動くように支えてくれているのですから。
世の中では、気は日常からかけ離れた特別なものと思われているようです。難しい顔をした気功師が、気合を入れて気を送って…というやつです。
気にはああいった側面もありますが、あれはあくまでもショーです。実際の気はもっと普通にあるもので、普段から感じたり動かしたりしているものなのです。
空気のように当たり前にあって、ただそれに気づかないだけなのです。
まとめ
今回は気について書いてみました。
- 体には「物質の体」と「気の体」があって、重なっている
- 物にも気はある
- 気は身近なもの
気というと、「よく分からない」「本当にあるの」という印象が強いのではないかと思います。
そこで東洋医学の本を開いてみても、ややこしい説明ばかりで余計わからなくなってしまいます。
もし「気について知りたい」と思ったとしたら、本当に知りたいのは、この文章に書いたような内容ではないでしょうか。
気がどの辺にあって、私たちが普通に感じている体(物質の体)とどのような関係にあるか、などです。
そして、体には「気の体」があるわけですから、医療は気を整える方法を備えておくべきです。
そのために東洋医学に記されている気についての情報を、もう少し具体的に、分かりやすくまとめておくことは大切だと思います。
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